ヘルザーのセリフの中には幽霊などの超自然現象を否定する言葉が多い。科学では幽霊が存在することはありえないとする見地からのようだ。中でも印象的なのが「幽霊というのは録画みたいに場所に記録されたようなものだ」という見方だ。この映画では現象のシステム自体は解明できないながらも科学的に検証し、消去法によって原因がなんであるか、という詰め方をしている。そしてこの幽霊理論がストーリーと複雑に絡み合っている。これがこの映画の面白さだ。幽霊まわりから解体をはじめてみる。
●幽霊はいない。幽霊は場所に録画されたようなものだ。
ヘルザーは怪奇現象を「場所に録画されたようなもの」と説明している。幽霊が録画されたものというのは゛映画の話゛としては面白い。そもそも映画は録画されたものであるから、映画とは幽霊たちが演じたものであるようにも思えてくる。
場所にとり憑くといえば、日本の四ッ谷怪談に出てくるお岩さんも井戸にとり憑いていたのだから、和洋問わずよくあることなのかもしれない。幽霊についてはさまざまな定義が存在するようで簡単に理解できるものではないから、ここではemergoの中でヘルザーが語ったことにだけに焦点をしぼっていきたい。ヘルザーのセリフを少し長いが抜粋する。
「この現宇宙において超自然的な存在は認められていません、なぜなら自然の法則自体が超越できないことになっているからです、起きている怪奇現象は説明できないことです。
あなたの家には幽霊などはいません。自然現象なんですから。ことの原因はポルターガイスト症候群です。
幽霊現象は常に場所に関係しています。同じ場所で長い間起き続けます。幽霊はなぜかはわかりませんが場所を移動できない。幽霊は場所に録画されたようなものです。
一方でポルターガイストは人間の霊概念と関係しています。引越しをしても霊はついてきた。二軒とも幽霊屋敷という可能性もあるが信じがたいですね。科学者である以上その可能性を排除しながら確認していくつもりです。
いいえ、奥さんの霊とは思いません。ポルターガイスト症候群はそこにいる人が思い込めば反動が大きくなり現象は強く激しく返ってくる。過剰なストレスが高まり、強い念力によって現象を引き起こすんです。ケイトリンはまだ十代の女の子で、母親がいなくなった今では大人でも手を妬く四歳児の面倒を見なければなりません、思春期でホルモンが最高潮のときで不安定な少女にはこの状況は苦痛になっているはずです。発生原因は彼女にあると踏んでいます。」
一読しただけではなんのことかわかりずらいが、まあ、とにかくポルターガイスト症候群が起こっているらしい。
ポルターガイスト症候群(シンドローム)とはなんなのか。聞いたこともない。
調べてみると、ポルターガイストとはある特定の人物の周りだけで起こる原因不明な騒音や物の移動、動きだという。そしてポルターガイストはそこにいる人が原因であることが多いそうだ。場所にとりつく幽霊はポルターガイストとは呼ばれずホーンティングという部類に入るので一見同じような怪奇現象でも呼び名が違う場合があるということだ。
ヘルザーは引っ越しも済ませている彼らに起きているのはポルターガイストだと診断した。
しかし、全編を通していくとポルターガイストであるかホーンティングであるかなどは関係なく、問題そのものは家族にあることがわかる。emmergoでは幽霊などは「影の薄い」脇役で、家族あるいは父と娘のドラマ色が濃い。彼らの心、とりわけセリフが少ない娘の心を映像化したものだと思う。
人の思いや心というものを絵に描けたら一体どんなものになるかわからない。外面に出ないだけで、一個人のもつ思いの空間は一宇宙よりも大きい。もし宇宙の果てにいく想像をしてくださいと一万人の聴衆の前で言えば、宇宙空間が一万ほど出来上がる。数では表せないほどの広がりが思いの中では膨らむことができるのだ。しかし可視することのできない思いという現象を、幽霊を使って表そうとしているこの映画は、実に興味深く、学ぶことも多い。幽霊はもはやどうでもいいかもしれない。人の心情に視点を移してこの映画を見直すのが真の楽しみ方だと私は思う。
※ヘルザーの解説を掘り下げたければWikipediaの「ポルターガイスト現象」の項か、「ポルターガイスト研究」でかいつまむことができる。
Link:http://ja.wikipedia.org/wiki/ポルターガイスト現象
Link:ポルターガイスト研究
Wikipediaからの抜粋
超心理学ではポルターガイストを超常現象として扱っている。ポルターガイスト現象は、思春期の少年少女といった心理的に不安定な人物の周辺で起きるケースが多いとされており、その人物が無意識的に用いてしまう念力(反復性偶発性念力recurrent spontaneous psychokinesis RSPK)によるものとする説もある。つまり、そういった能力を有する者が無意識的に物を動かし「ポルターガイスト現象」を発生させてしまう、とする考え方である。
ポルターガイストを研究するような世界では、子供の周りでこういったことは起きやすいというのは通説のようだ。子供がイタズラでやることもよくあるというし、詐欺まがいのものも多いという。その結果、ポルターガイストなどという現象はなにかの物音や気配を勘違いしたり、自作自演の詐欺であったりするのが大半だとすれば超自然という現象にはほど遠い。あるいは、精神疾患などで自作自演を意識せずにやってのけてしまう場合も考えられるだろう。まだ医学もなにも発達していない頃の昔に、サヴァン症候群は超能力だと思われたかもしれないし、ヒキタテンコウやMr.マリック程度の手品師ならポルターガイストくらいは即席でもやってしまいそうだ。
世に言うポルターガイストは残念ながらヘルザーの言うとおり、自然の中で起こっている自然現象のひとつであり、超越できないのかもしれない。だがこの映画で扱われているポルターガイスト症候群をWikipediaに書かれているポルターガイスト現象や通説と混同してしまうとなにも面白くなくなってしまう。この映画で言われているポルターガイスト症候群というのはあくまでメッセージの媒体であるだけで、本題ではない。作者が映画というメディアを使って、そのストーリーの中にメッセージを託すのと同じように、ポルターガイスト症候群もまたメッセージが託されただけの入れ物なのだ。アパートのあの一室は少女の荒れた胸の内を表したものであり、それを映像化するために怪奇現象を拝借しているにすぎないのだ。断定はいつだってできないのだが、そうとればとるほど面白い映画になっていく。
もしかすると、日常の電車で隣り合わせた高校生の女の子の胸の内には、ポルターガイストどころではない世界が繰り広げられているかもしれない。中年の男あたりが、外見だけを見て中を見ようともせずに、その吹き荒れる心と接触しようものなら投げ飛ばされるだけではすまないことは想像に難くないだろう。
ヘルザーは可能性を排除し現象を具体的にするために、実験を次のステージにあげていく。
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