RED LIGHT レッド・ライト 映画解説

劇場での闘い

劇場に向かったバックリーには、既に刺客が向けられていたようだ。この刺客との戦いが陳腐に見えてしまう人もいるかもしれないが、所詮は、学者とペテン師のボディガードとの戦い。まさかチャック級のアクションを想像していたのだったら相当がっかりなことだろう。チャックとはチャック・ノリスのことだ。派手なアクションを期待していた人たちはどんなものだったら喜んだのだろう。超能力で刺客を叩きのめすとかの茶番劇か?チャックでもそれはやらない。
ここでバックリーはある程度の傷を負ってくれないと、キリストの再来かどうかの葛藤が浅くなってしまう。派手なアクションも要らなければ突拍子もない特撮も要らない。必要なのは痛みだけ。バックリーが痛みを受けることによってただの超能力者か救世主なのかへの葛藤が膨らんでいく。
バックリーが襲われる直前、シルバーのセリフの中ににプトレマイオス、ガリレオ、ジョルダーノ・ブルーノの名前が挙げられる。異端として迫害されたり、処刑されたりした学者たちの名だ。彼らは正しい視点を持っていたと言える。火炙りにされても自分の意見が正しいと言える人間がこの現代に何人いるだろうか。当時、明らかに太陽が大地から昇り大地へと沈んでいくように見える世界が目の前にあるのに、太陽が止まっているなどということが簡単に信じられるだろうか。いくら正しいとわかっていても、集団が正しくないと言えば異端として迫害されるそんな時代に。現代だってそうだ。大勢が言うことが正しいとか学者や先生と言われる人間が正しいとかそういう色眼鏡をかけて世の中を眺めている人は少ないと言えるだろうか。私は言えないと思う。その状況下で正しい視点を持つのは本当に大変なことかもしれない。しかしこの映画『レッドライト』は間違った視点に警鐘を鳴らしているのだ。そうでなければ集団は間違ったものを敬い、正しいものを排除しようとしかねない動物なのだ。
バックリーは排除される対象だ。集団は、本当に力を持っているものがいればそれが広まらないうちに殺そうとするヘロデ王と同じだし、魔術を使うとなれば魔女狩りは起こるだろうし、マイノリティすぎて結局は異端扱いになるだろうし。バックリーがどこかでそれを恐れていて自身の力について公言しなかったということもあるだろう。集団こそ恐ろしい怪物そのものだ。集団はそれだけではない。キリスト(救世主)の再来もどこかで望んでいる。救世主が現れれば許され救われると信じて祈り続けている人もいる。その期待もまた怪物を生みかねないというのだから恐ろしい世界だ。
そんな混沌の世界からバックリーは十分に痛みを受け、奇跡を起こす準備が整った。そして奇跡が起こってしまい、シルバーが偽物であることも明らかにされてしまうのだ。

ラストの意味

ラストで全てが種明かしされる。バックリーのマーガレットに宛てた手紙が読み上げられていく中、全てのバックリーが起こした超常現象が流れていく。マーガレットのコーヒーの中で曲がっていたスプーン。飛び込んでくる鳥。ショートする機材。揺れる会場。指を指すホームレス。もうここで全てがバックリーに起因して起こったことなのだと、最期の最後でばらしてしまった。この終わり方をよしとするかしないかは個々人に任せるが、映画の分解・解釈には大きな手掛かりが語られている重要な部分である。再び全文を引用してみよう。

親愛なるマーガレット
いつ全てが終わったのかわからない
声をあげて泣き 悲しみ怒りたかった
昔のように
感じたかった
僕は生涯 自分を偽り続け
自分に似た人を探していた
(シルバーが自分と同じだったらよかったがそうではなかった)
見つからない答えを
探していたんだ
(見つかるはずはない、自分なのだから)
あなたに多くを学んだ
でも大事なことを忘れていた
(大事なことを言い忘れていたんだ。特にあなたには言っておかなければならなかった)
僕だったんだ 最初から
(なにもかもの現象はバックリーだった)
そうだろ?
僕だったんだ
偽りは隠せない
あなたは満足かな
(こうして僕が原因だったなんてわかったら、喜ぶかな。超常現象があってくれたら、ってあなたはずっとずっと探し続けてきた。しかも僕が隣にいたのに。)
でも僕は自分を許すことはできないだろう
慰めになる言葉くらい
言えたのに
(あるいは、僕が力を見せれば、あなたの呪縛を解きほぐせたのかもしれないのに)
何かあるって
(何かっていうのは、僕がこんな力を持ってるって言うんなら、キリストもいたってことになるだろ。つまり、天国はあるってことなんだ)
でももう大丈夫
今日で全て報われるから
(デイビッドを逝かせたよ。最後の審判の後で会えるだろうね(?これは行き過ぎかなあ))
自分は偽れない
永遠には偽れない
(真実を得る方法は期待はしないことだ。シルバーがそういってたよ。偽り通せるだなんていう期待はしないことだ。期待をし続ければいつか怪物を生む。シルバーにも当てはまるけど、もっと僕の方がピッタリと当てはまってしまう。偽れないとわかった途端に雨が止んだよ。まるで天と僕の心が通じているみたいだ)

と、勝手な解釈付きでのママ文掲載だったが、どうだろうか。いろいろな捉え方はあっていい。これもひとつの捉え方に過ぎない。しかしやっぱり、最期の最後でキリストの存在を予感させるような終わり方になっているのは、どうしても外せない。キリストとは一言も言ってはいないが、天国の存在をマーガレットに告げたかったと言っていることは確実だ。つまり『天の国は近づいた』と伝え続けたイエス・キリストに続いて、人智を越えた力を持つ新しい救世主(メシア)が出現したという意味になる。

この作品はインチキマジックショーと真の能力者を通して、人類にとってなにが重要なのかを提示している。マーガレットは自分の息子デイビッドを前にしてこんなことを言う。

「鏡に映った自分すらも誰なのかわからないのでしょうね」

これこそが真実を見抜く目である。鏡に映ったまやかしの世界などは理解できなくていいのだ。見えている世界に騙されず、曇りなき眼で世を見据えるならば、鏡に写る自分の姿などは左右反対の虚像であることからも、信じるべき対象ではない。むしろ目をつぶり、言葉にこそ耳を傾けろ、とでも言いたそうにさえ感じさせる。視覚芸術性が高い映画で視覚を疑わせるのは自殺行為のようにも取れるが、作品の中で作品自体を疑わせる手法はいくらでもあるものだ。しかし絶大的な支持を歴史の中で勝ち得ているキリスト教相手によく喧嘩を売れたもんだ。反面希望も与えているのも本当なのだが。

キリスト教を絡めて話しすぎてしまったが、キリスト教を信じる信じないはともかく、この映画はそういうキリスト教とユダヤ教の思想が強く盛り込まれた映画である。しかし無宗教である私にものめり込めるものがこの映画には残されている。

ロドリゴ・コルテス監督の前作『Emergo apartment 143』でも最後の最後には超常現象が正当化される。結局ロドリゴ・コルテスは超常現象について、否定しない。
監督のメッセージとはなんだろうか。
まやかしが横行しているこの世であっても自分自身で判断することを怠ってはいけない。正しい視点とは、自分自身で確かめること、そして言葉へ注意深く聞き入って視覚に騙されるな、というところだろうか。そして『期待してもいいのだ』と最後に言い残す、これがロドリゴ・コルテスの優しさでもある。希望を与える。救いを残す。映画こそが人々を救うとでも言おうとしているかのようだ。いや、これこそ期待しすぎ、ということだろう。

エンドロールのあとの窓

エンドロールの後に窓が映し出される。ロドリゴ・コルテス監督がインタビューで触れているが、意味にまでは触れていない。もう鳥は飛び込んで来なくなった、というような平穏さも伺える。窓には血痕のようなものもついている。一体なにを指しているのか、謎である。

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3 Replies to “RED LIGHT レッド・ライト 映画解説”

  1. 初めまして。
    映画レッド・ライトの考察楽しく読ませていただきました。
    映画は全般的に好きなのですが、特に本作のような作品が大好きでDVDを探しては何度も見返しています。
    ですが、鈍感な為二度三度見てもなかなか理解できない事が多くもやもやする事ばかりでした、
    以前、大好きなD.リンチ監督のマルホランド・ドライブを見た後、どうしても理解に苦しんでいた時
    たまたま、こちらのような考察を読み、それから映画の楽しみが何倍も膨れ上がりました。
    それからはドニー・ダーコやメメント、オープン・ユア・アイズなど何度も見返しては自分なりに推理して楽しんでいます。
    まだ見ていない傑作がたくさんありますので、これからも色々と紹介していただけたらと思います。

    • コメントありがとうございます。
      映画って本当にいいですよね。
      この映画は表面的なトリックで観衆を翻弄しているんですが、多重レイヤーな伏線があるように見せていて、実は解説したようにシンプルな幹に枝葉がついたものだったりしますね。
      その罠にかかって推理していくのはとても楽しかったです。

      私も鈍感です。なので何度も見返します。この何度も見返したい、っていう映画に出会うと興奮しますね。そうするとわからなかったことが見えてくる。疑問が見えてきたらメモして、昔の映画に似たシーンがなかったかと思い巡らせてと、やっているととっぷりと日がくれていきます。
      マルホランド・ドライブではどこかの精神科医の人の解説が好きでしたね。あれには影響受けています。マルホランド・ドライブはあの解説で精神的な病み付きにさせられましたよ。
      あまり話題ではないですが、ロドリゴ・コルテス監督繋がりで「emergo apartment 143」の映画も傑作ですので、是非です。

  2. […] ※同ロドリゴ・コルテス監督作品「レッド・ライト」の考察もしてみました。 […]

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