オッカムの剃刀
聞きなれない言葉が飛び出した。それは劇場に張り込みをする刑事かなんかにマーガレットが発した言葉だ。
「オッカムの剃刀を知ってますか、蹄の音を聞いたらユニコーンとは思わずに、私たちは馬と思う」
文字通りだが、ストーリーと紐付けて言うと、
「余計なものを排除してシンプルに捉えれば、超能力者もただの人というわけだ」
ということだろう。彼らの神がかった声を聞いても、それを神や天使とは思わずに、人だと思えば、おかしなところがどこかわかるでしょ、という正しい視点の持ち方のひとつをつまみ上げてくれている場面だ。
ショーが始まるとパラディーノを名乗る超能力者がエコーの効いたマイクで演説を始める。アメリカのドラマや映画を観るているとよく見るシチュエーションのような気がするのだが、おそらくアメリカには本当に奇跡を謳ったインチキショーは多くあるのだろう。神を信じない、己だけを信じている、そこの人、神の御名の前に出てきなさい、などと支離滅裂なことを言い出しても聴衆は疑うどころか、まんまと騙されている。みな、どこかに救いを求めているものたちばかりだから、信じられるものならば何にでもすがりたいところだ。だがマーガレットたちはそういった期待ではこのショーを観覧せず、必ずトリックがあるはずだという確信を持って挑んでいる。
バックリーが持ち込んだ機材で無線を傍受し、遠隔操作を突き止める目的が大元からあるようだ。
トリックは単純で、会場の周辺で観客たちの情報を収集しておいて、それをバックヤードの協力者がパラディーノに無線で伝えているだけだ。
マーガレットたちは灯台元暗しといった具合に、隣の部屋で無線を送る協力者を捕まえる。
Katia Novikova
テレビ出演で
アメリカにはこういった討論番組がこうもよくあるのだろうか。いや、あるのだろう。テレビチャンネルの数だけでも日本の比ではない。いくつあるのかはわからないが数百以上とだけは言える。それだけでも日本の数ではない。この日も仕組まれたようなキャスティングで討論は始まり、マーガレットはやり玉にされてしまう。
マーガレットは三十年前にサイモン・シルバーと番組で対決している。そのときシルバーの術中にはまり、一言も返せなくなってしまった。三十年後の今回も、サイモン・シルバーこそいないが、感情に任せたマーガレットは負けてしまった。どちらもマーガレットの弱点に漬け込んでいくような心理戦での敗北だった。人間誰しも弱点はある。身体にハンデキャップを持つ人たち、決して忘れることなど不可能なほど傷を負った心を持つ人たち。そこに漬け込むなんていう卑怯な手を使うのは、ペテン師たちには当たり前で人をコントロールする手立てをよく知っている。
マーガレットには植物人間である息子ディビッドを逝かせてやれないことがアキレス腱で、サイモン・シルバーがそれをつかんでいる以上、マーガレットは抵抗できない。
マーガレットはサイモン・シルバーの卑怯さなんかには構えができている。そんなことには驚きもしない。しかしマーガレットは今もショックを抱えて苦しんでいる。それは、サイモン・シルバーを信じ、ディビッドを見送って楽になってしまいたいと、自分をも疑ったというショックだ。そしてそれをテレビを通して、みんなに悟られたのだ。あなたならこの屈辱に耐えられるだろうか。
テレビとはまやかしを伝える代表だと書いたが、屈辱や汚辱を伝える時には凄まじい威力を発揮する。
サイモン・シルバーのショーにバックリー
ステージに立ったサイモン ・シルバーは、観客に言葉を投げ掛ける。
「あなたには何が見えていますか? あなたが見ているものは影か、反射光か。目を信じますか?それとも私を信じますか」
またか。ここでも再び視覚の話だ。もうすでに何度も出てきているので視覚については触れないが、ペテンであるサイモン・シルバーが自ら「目を信じますか?」と言うのはいかにも挑戦的だ。マジックショーこそ角度を変えて見られたらその時こそ終わりなのに、あえてサイモン・シルバーは観客に視覚を疑わせて彼らから視覚を奪い、サイモン・シルバー本人の盲目と千里眼を信じ混ませようとしている。
バックリーはマーガレットの言うことなどは耳に入らず、サイモン・シルバーのショーへ向かった。感情のままに飛び込んだ彼は、あのパラディーニ逮捕で使った無線傍受を試みる。サイモン・シルバーが観衆の誰かの名を呼ぼうとしている瞬間にバックリーが機材のスイッチを入れると同時にノイズが機材から発生しショートを起こして、会場自体が超常現象(ラップ現象のようなものか)に包まれる。やはりサイモンには超能力があったのだろうか!?そう観客は信じ込まされてしまうはずだ。私ももう疑いなく、サイモン・シルバーが超能力者路線で話を読み進めてしまった。もしここでタネを知っていたとしても、このシーンの正確な辻褄を捉えるのは難しいはずだ。なんとなくはわかったような気がするのだが、などと知ったかぶりをしてもダメだ 、出来事を出来事として捉えてみなければ正しい視点で見ることなどはできない。
めんどくさいが細かくいちいち分解して検証してみよう。
・バックリーの持ち込んだ機械は壊れていたため、あのようなノイズが走った。
壊れているからといって、あんなにまでひどいノイズが走るだろうか。ひどい壊れようだ。しかし「壊れていた、それ以外にはない」そう捉える方のがオッカムの剃刀に沿っている。取りあえずは思い込みも棄てて、あるがままを受け止めてみるのだ。
・ノイズに触発されたバックリーの本来の能力が現れ出て、コントロールされないまま会場に超常現象を起こした。
こう解釈するのも手堅いだろう。会場の超常現象はバックリーにしか出来ない超常現象だから、タネを知っている我々にはもう、他に説明しようがない。
・サイモン・シルバーは観客の名を呼んで、インチキ治療をやりたかった。しかし本物の超常現象が起こったために、それどころではなくなってしまった。
サイモンも片耳を押さえて、なにが起こったのかと仰ぎ見る。恐らく耳に入れている無線もノイズを拾ったのだろう。
・しかしサイモン・シルバーという男はついているとしかいいようがない。偶然が味方をしている限り、彼は神に近いとも言えるかもしれない。しかし神になれないのは、やはり偶然に頼る限り、神にはなれない。神はサイコロを振らないものだ。
要するにこのシーンは、主人公バックリーとシルバーの本当の闘いが始まる幕開けである。これまでは序章だったと言ってもいい。バックリーの力が初めて描かれたここで、そう易々と種明かしなどはしてくれないのは当然だ。観客たちは疑念など持たずに見つめ続ければいいだけだ。
実際、シルバーとバックリーとのファーストコンタクトでもあるこのシーンで一番不可解な思いをしたのはサイモン・シルバー本人である。本物の超常現象で観客はさらにサイモン・シルバーの力を信じるだけだし、バックリーは自分の力を知っているし、と誰にも疑念はない。サイモン・シルバー以外の誰もがそこそこの確信を持っていられるのに対して、サイモン・シルバーは起きている超常現象に納得がいかない。ペテン師であると本人がよくわかっているからだ。このときの彼の脳裏には
神が味方でもした?
などと浮わついた錯覚が走ったかもしれない。
そうであったりしたらばの話だが、サイモン・シルバーは自分のペテンはバレやしないと思っていて、さらに自分は神あるいはその類いだと思ってしまったという、二つのタイプを持ち合わせていたのではないだろうか。でもそれはマーガレット曰く、
両タイプとも間違っている
とのことだ。
初めまして。
映画レッド・ライトの考察楽しく読ませていただきました。
映画は全般的に好きなのですが、特に本作のような作品が大好きでDVDを探しては何度も見返しています。
ですが、鈍感な為二度三度見てもなかなか理解できない事が多くもやもやする事ばかりでした、
以前、大好きなD.リンチ監督のマルホランド・ドライブを見た後、どうしても理解に苦しんでいた時
たまたま、こちらのような考察を読み、それから映画の楽しみが何倍も膨れ上がりました。
それからはドニー・ダーコやメメント、オープン・ユア・アイズなど何度も見返しては自分なりに推理して楽しんでいます。
まだ見ていない傑作がたくさんありますので、これからも色々と紹介していただけたらと思います。
コメントありがとうございます。
映画って本当にいいですよね。
この映画は表面的なトリックで観衆を翻弄しているんですが、多重レイヤーな伏線があるように見せていて、実は解説したようにシンプルな幹に枝葉がついたものだったりしますね。
その罠にかかって推理していくのはとても楽しかったです。
私も鈍感です。なので何度も見返します。この何度も見返したい、っていう映画に出会うと興奮しますね。そうするとわからなかったことが見えてくる。疑問が見えてきたらメモして、昔の映画に似たシーンがなかったかと思い巡らせてと、やっているととっぷりと日がくれていきます。
マルホランド・ドライブではどこかの精神科医の人の解説が好きでしたね。あれには影響受けています。マルホランド・ドライブはあの解説で精神的な病み付きにさせられましたよ。
あまり話題ではないですが、ロドリゴ・コルテス監督繋がりで「emergo apartment 143」の映画も傑作ですので、是非です。
[…] ※同ロドリゴ・コルテス監督作品「レッド・ライト」の考察もしてみました。 […]