映画「レッド・ライト」を見ていたとき、妙にファミリアな気分になり、それからなんとも言えない残余感が消えないままエンドロールを終えてしまった。この場合のファミリアとは、親しみというよりも既視感に近い。だが、デジャヴのような、見たことがある、という視覚的なものは一切ない。
そういうファミリアさと残余感があったとしても、ストーリーが気に食わないとか、映画の欠陥によって解せなかった、というものでもなかった。
ファミリアな気分になったのはこの映画がロドリコ・コルテスの作品だとわかった時点で納得がいった。ロドリコ・コルテスは「emergo apartment 143」の監督だ。「emergo apartment 143」は前に考察したことがある。(→http://movie-pie.site/archives/47)リズムというか、物語への吸い込まれ方というか、今回のレッド・ライトともよく似ている。そのせいかはわからないが、残余感はいつの間にか、この映画を分解するエネルギーへと変わっていった。おそらく「見落としている」という感覚が残余感を起こしていたのだろう。たぶん、このページに訪れた人の中にもそんな感覚を「レッドライト」に抱いたのではないだろうか。
しかし分解しても尚も疑問、疑念は残る。それは
分解していった部品たちをこれから列挙していくので、暇だったら付き合ってほしい。暇だったらでいい、長いから。
レッド・ライト | |
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Red Lights | |
監督 | ロドリゴ・コルテス |
脚本 | ロドリゴ・コルテス |
製作 | ロドリゴ・コルテス アドリアン・グエラ |
製作総指揮 | リサ・ウィルソン シンディ・コーワン |
出演者 | キリアン・マーフィー シガニー・ウィーバー ロバート・デ・ニーロ |
音楽 | ビクトル・レイエス |
撮影 | シャビ・ヒメネス |
編集 | ロドリゴ・コルテス |
製作会社 | Nostromo Pictures |
配給 | ミレニアム・エンターテインメント アメリカ プレシディオ 日本 |
公開 | 2012年7月13日 アメリカ 2013年2月15日 日本 |
上映時間 | 113分 |
製作国 | アメリカ合衆国 スペイン |
言語 | 英語 |
製作費 | €14,000,000 |
興行収入 | $13,551,174 |
「マーガレット、マーガレット、…マーガレット」
冒頭、バックリーは車の窓に頭をもたげて寝ているマーガレットに向かって彼女の名前を連呼していた。
「もう少し寝るべきだね」
バックリーは起きたマーガレットにそう言って、また彼女を寝かせた。このときおそらくマーガレットは、バックリーが不平を抱いているのだ、と思ったのだろう。帰りにそれについて一言マーガレットが言い返すシーンがあとに出てくる。
最初の現場
都心から離れた大きな屋敷に二人は訪れた。超常現象にはうってつけの古い屋敷だ。事実、事件は起きていて、マーガレットとバックリーの二人は家主に依頼されて来たのだ。結果的には娘のスーザンが原因であることを二人は見抜くが、この事件を複雑にしていたのはスーザンではなく、乗じて住み込んでいる美容師のトレーシーだった。彼女は霊媒師のような形で家族に取り入っている。
娘のスーザンは悪気があってやっているのではなかった。姉が遠くへ預けられていることを寂しく思ってのことだった。ここには何らかの事情があるようだ。もしかすると姉ジュリアは不治の病であったり、もしかすると死んでしまったりしたのだろうか。親はそれをいつ話すかのタイミングを見計らっているようにも見える。父親の「数日のうちには」という言いぐさからそんなことも見てとれる。
そこへ超常現象が起こって、親達やスーザン本人も真に恐怖心を掻き立てられているのだろう。
スーザンの起こした超常現象の仕掛けは簡単で、スーザンが姉ジュリアから教わっていたクローゼットの開け閉めで奇怪な音を起こす、というだけのものだった。そうすることでスーザンは、姉のいない寂しさと、早くこの家を離れたい、という思いを両親に訴えていたのである。しかしそこへトレーシーがやってきて、新たなニセの超常現象を起こして家族を不安に陥らせ始めた。霊媒師を装っていた彼女は降霊を行い、あたかも霊が家に潜んでいるように見せる。テーブルが震えて浮き、家族はパニックを起こす。
こういう、霊媒師が住み着いたりするのはよくあるインチキの手法なのだろうか。オセロの中島がはまった例と似ている。こういう輩はおそらく今も世界のどこかにいて、人を困らせているに違いない。こういう輩どもをトレーシーと霊媒師をかけて、トレーバイシーと命名しようか。
話は戻って、マーガレットとトム・バックリーはそういうインチキを見破るインチキバスターズとまでは言わないが、過去30年間の超常現象はインチキであり奇跡はまだ現れていないという立場を守り、あらゆるインチキを見破れる目を持った学者たちなのだった。
タネを見抜いたマーガレットは子供スーザンと取り引きを行う。
「クローゼットで脅かすのをもうやめるならば、お父さんにはこのことは言わない」
「テーブルが浮くのは私のせいじゃないの」
マーガレットとバックリーの二人が帰ろうとしているときに、こんな会話をする。
「車は私が提供して、あなたが運転する、これで公平でしょ」
「なんで公平じゃないんだろ」
「当然よ」
ここで会話は途切れてしまった。この映画において、バックリーの会話はいつも途中で切れてしまう。今の会話の続きがあるとしたら次のようなものはどうだろうか。
「さっきあなたは私を叩き起こした上にまた寝ろなんて言ったじゃない、不満があるって証拠じゃないかしら」
これにバックリーは必ず言葉を濁すだろう。しかし妄想を回転させ、ここでもし結末を知っている人ならば、バックリーの心境をどう考えるだろうか。私の場合はこうだ。
「いえ、あなたが見ていた悪夢から目を覚ましたかっただけですよ」
と、テレパシーでも使える人間でないと言えないような台詞が飛び出してくる、というのはどうだろうか。人を眠りから起こしておいて寝ておけ、というのは考えるほどに変な話だ。冒頭だからこそ忘れられがちなシーンだが、不可思議さでいけばこの映画の中でも一番奇妙なシーンが一番最初にある。マーガレットは息子の夢でも見ていたのだろうか。
オープニング
オープニングで扱われているモンタージュには心霊写真からUFO までのありとあらゆる怪奇現象が詰め込まれている。これを見ただけでは、サイキックと心霊現象、未確認物体、などなどが混同されているように思われがちだ。だが超常現象という括りで捉えてみると視点は変わる。あるいは「インチキ臭いもの全て」という視点からでもいい。
世にある説明のつかないものは、神秘の謎に包まれることによって人々に想像を与え続けている。だが、もしそういう神秘な想像を与えるものが全て人為的なデマカセとインチキであったらどうだろう。ジャンルを越えて、ただのインチキカテゴリーに放り込まれてしまうだけのことだ。あとでも出てくるが、西洋では超常現象は必ず神の御業へと帰結してしまうものだ。イエス・キリストが行ったと言われるあらゆること、死者を蘇らせたり、失明を治癒したり、水をワインに変えたり、といった今でいう超能力のようなことができたというのだから、帰結してしまうのも自然な話だ。やはりこの映画でもサイキックも心霊写真もUFOも境はない。むしろインチキくさいという大きな括りで超常現象を扱っている。この括りには西洋がもつ文化背景、取り分けキリスト教との深い繋がりがあり、この映画の大テーマにもなっているわけだ。 自然科学では説明のつかないものと対峙するマーガレットとバックリーの設定を固める意味でも、インチキ現象は効果的に使われている。 そしてもうひとつの大きなテーマ「正しい視点」にはうってつけの獲物が、このインチキ現象どもなのだ。
超能力を持つことは神と見なされるのがキリスト教圏内の見方だ。神は超能力も復活能力も予言能力も全知全能も持ち合わせる。救世主に当たるスーパースターである。 世界を救ってもくれれば、全ての超常現象を解決してもくれる。
つまり神だ。
西洋では神の存在は偉大だ。日本のように八百万の神がいるような状態ではなく、神は唯一のものであるから、その厳格さは八百万倍だ。八百万倍は言い過ぎかもしれないが、日本人には想像できないほどに、宗教が文化へ密接に影響していることは確かだ。
しかし東西を問わず、なぜだかインチキ臭いやつは上手いこと神やその類いになりたくなるようだ。
オープニングが終わるとジェット機のテールランプの赤い光りが舞い降りてくる。この飛行機にはシルバーが乗っていることからも、レッドライトのタイトルに対するメタファーなのだろう。
シルバーがタラップを降りる途中でサングラスをとるシーンがあるが、これは視力のある者の仕草だ。シルバーにはここですでに視力があることを映画は訴えているのだけれども、観客はロバート・デ・ニーロの登場に目を奪われて、そんなことには気がつけない。また白いカラーコンタクトだろうか、その死んだような眼球が盲目を訴えてもいる。
このシーンにはそんな見えづらくなったフォーシャドーイングが潜んでいるのだが、映画が観客の視力を奪い盲目にさせてしまうという、恐ろしいシーンでもあるのだ。
初めまして。
映画レッド・ライトの考察楽しく読ませていただきました。
映画は全般的に好きなのですが、特に本作のような作品が大好きでDVDを探しては何度も見返しています。
ですが、鈍感な為二度三度見てもなかなか理解できない事が多くもやもやする事ばかりでした、
以前、大好きなD.リンチ監督のマルホランド・ドライブを見た後、どうしても理解に苦しんでいた時
たまたま、こちらのような考察を読み、それから映画の楽しみが何倍も膨れ上がりました。
それからはドニー・ダーコやメメント、オープン・ユア・アイズなど何度も見返しては自分なりに推理して楽しんでいます。
まだ見ていない傑作がたくさんありますので、これからも色々と紹介していただけたらと思います。
コメントありがとうございます。
映画って本当にいいですよね。
この映画は表面的なトリックで観衆を翻弄しているんですが、多重レイヤーな伏線があるように見せていて、実は解説したようにシンプルな幹に枝葉がついたものだったりしますね。
その罠にかかって推理していくのはとても楽しかったです。
私も鈍感です。なので何度も見返します。この何度も見返したい、っていう映画に出会うと興奮しますね。そうするとわからなかったことが見えてくる。疑問が見えてきたらメモして、昔の映画に似たシーンがなかったかと思い巡らせてと、やっているととっぷりと日がくれていきます。
マルホランド・ドライブではどこかの精神科医の人の解説が好きでしたね。あれには影響受けています。マルホランド・ドライブはあの解説で精神的な病み付きにさせられましたよ。
あまり話題ではないですが、ロドリゴ・コルテス監督繋がりで「emergo apartment 143」の映画も傑作ですので、是非です。
[…] ※同ロドリゴ・コルテス監督作品「レッド・ライト」の考察もしてみました。 […]